チャップリンの秘書は日本人だった?
世界中で喜劇王として有名な「チャールズ・チャップリン」。
その秘書を18年間も務めた日本人がいること、知っていますか?
今の若い世代、チャップリンは知ってるけど・・・と言う方が多いはず。
彼の名は「高野虎市(こうのとらいち)」
当時渡米していた高野は、チャップリンの運転手として採用されました。
「高野は何でもする。看護夫、乳母、秘書、護衛、何でもした。彼は日本人で私の為には何でも屋だった。」
もともと日本が好きだったチャップリンは、高野との出会いでますます日本が好きになり、まぎれも無い親日家になりました。
チャップリンは言います。
「日本人はみんな親切で正直だ。何をやるにつけ信用出来る。」
高野の史実で確実な働きに感激し、チャップリンは多い時で使用人の17人が全て日本人だったそうです。
「高野虎市」という人は、きっと典型的な日本人だったのでしょう。
世界から見て日本人は「まじめ」な印象を持たれます。
それは同時に「信頼出来る」という意味です。
日本製品や、日本人の行動は世界からも賞賛されます。
最近では、サッカー日本代表の試合において大きく負けたにもかかわらず「日本人のサポーターはゴミ袋を持参しゴミを拾って帰った」と話題になりましたね。
しかし、これも特別な事ではなくサポーターの間では恒例になっています。
日本人としては当然の事が、世界では賞賛されたりします。
チャップリンは遺書で、相続人の一人に高野を指名しています。
世界のチャップリンにここまで信頼された人物が我ら日本人とは、なんとも誇らしいですね!
しかもそれが、日本人の特徴を讃えてくれているのです。
些細な出来事でチャップリンは高野を解雇とし、高野は彼の元を去ります。
(チャップリンの妻の浪費癖を注意したことが原因といわれています)
解雇したことを後悔したチャップリンはその後何度も高野の所を訪れました。
しかし、高野が再びチャップリンの元に戻る事はありませんでした。
チャップリンの娘が高野の訃報を聞いた父チャップリンの様子を語ります。
「父は晩年まで彼の事を忘れませんでした。彼が亡くなったと聞いて父は悲しみにくれていました。父の親友でしたから。いつも傍らにいてくれた友人が、ある日突然別世界へいってしまった、そんな感じでした。」
信頼を通りこし、チャップリンと高野は「友人」になっていたのかもしれません。
「友人」に裏切られた高野は解雇された時、どんな事を思ったのでしょう。